京の散歩道

〜娘に贈る、哲学ノート〜

ありえたかも知れない、もうひとつの世界

この4月、愛娘が小学校入学、私は還暦になります。

娘の目下の悩みは「宿題」できるかな、だそうで、「ドラエモン」にはまっている娘は、のび太君がいつも宿題で苦労しているので、心配なんでしょうね〜。

我が身をふり返ると、還暦。実感ないですが。

で、最近、何故かいろいろブログを書いているので、還暦をよい機会に、ライフワーク的なことをしてみたいなと思い、このブログを立ち上げました。

まあ、よくある私的哲学ノートなのですが、せっかくこの世に生をうけて、この歳まで生かせていただいたので、この世界はいったい何だったのか、少しは考えてみて人生を終えたいなと思ったわけです。ある種の終活ですかね。

少し前ですが、NHKの「100分で名著」でスピノザの「エチカ」を取りあげていたのですが、解説の國分功一郎さんの「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」という論に触発されて、改めて、思想が世界を変える可能性について、考えさせられました。

最初、副題は、「ありえたかも知れない、もうひとつの世界」にしようかなと思ったのですが、まあここは、素直に私的に究極のテーマ「世界はどうして科学的に記述できるのか」としてみました。

もちろん、この問いに対する答を導くことはできないわけですが、「世界を科学的に記述しようとする」ことの意味については、理解できるかも知れません。

これは、自分自身が課した「人生の宿題」です。

興味の赴くまま、気長に書き綴っていこうかと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

2021年4月 還暦を前に